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「『肌色』って言っちゃいけんのんよ!」(肌色はダメ?)

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タイトルの言葉は昨日、二女と塗り絵をしている際に

私が「肌色取って」と言った途端

長女に言われた言葉。

私「あ…そういうばそうだった…。

何て言えばいいんだっけ?」

長女「うすだいだい色!」

隣で聞いていた義母は「??」状態。

調べると三菱鉛筆が正式に出していますね。

はだいろがなくなった|よくあるご質問|三菱鉛筆株式会社
「はだいろがなくなった」への回答をご紹介します。

うん、言っていることはもちろん分かる。

差別は悪だ。

でもその上でいつも『違和感』がある。

この『違和感』が何ともうまく言えない。

子供の頃から『差別をやめよう』という言葉がとても『違和感』だ。

それがそもそも『差別』じゃないのかと思う。

毎日一緒にクラスで過ごしていた知的障害の男の子。

ハーフの男の子。

片親しかいない女の子。

差別なんてしたことなかった。

でも大人たちが

『可哀想だからね。』

『ちゃんと理解してあげないと』

そっちの方が差別じゃないの?

と、子供ながらにずっと感じていた。

障害者の子供の映像を延々流している授業。道徳の授業だったのかな?

感想を書かされた。

きっと『可哀想』『優しくしないといけない』と書くのが正解だったんだろう。

でも私は『こういう授業が差別だと思います。』と書いたのを今でも覚えている。

あの時代、可愛くない子供だと思われただろう。笑

でも、模範通りに書いてしまうと

クラスメイトの知的障害の彼を否定する気持ちになったから。

そして昨今、国際的に様々な点で平等を求められる。

もちろん大事なこと。

でも日本のやり方がすごく『違和感』

まずは国が制度を整えるべきだと私は思う。

企業では無く、国が率先するべきでは無いのか。

SDGsに参加にしている以上、まずは制度や法律を変えたらどう?と思う。

後は、それぞれ個人的な考えがあるのはある程度仕方ないと思う。

それは『差別』なのだろうか?

最近、言葉狩りが多いのもとても気になる。

そのせいもあり、特に日本人は腫れ物を触るような扱いをしている様にしか見えない。

『差別する人が悪』なのであり、

本人はもちろん、元々差別なんてしていない人からするとよく分からん問題。

逆に『気を遣わないといけない』という変な意識が不自然ではないだろうか。

でも、こうして子育てとして考えた時に、子供が学んだ事を共に考えられるのは良いなと思いました。

例え、私自身に差別意識をしていなくても

『理解』がついて行かないと相手を傷付ける可能性もある。

これをきっかけに『知識』をつけようと思いました😃

こうして自分で想いを書き綴っている中で思った事は、

『はだいろ』という言葉は、

自分にとって

決して差別ではなく、

子供の頃から慣れしんだ言葉が無くなったという『寂しさ』なんだろうなと気付きました。

これからは素直に『うすだいだい色』と言えそうです😌

Wikipedia

肌色 - Wikipedia

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